ロンドン暴動でソニーの倉庫が放火され英国インディーズ流通の最大手PIASが甚大な被害を受けたことはその日のうちに知っていたのだが、「遣る瀬無いなー」くらいのもので、それよりも”主義主張も対象も何もない暴力ゲーム”であるという事実の方に気を取られて暗澹たる気持ちになっていた。
そこへ昨日、お世話になっている方から「これも燃えたかね?」とリンクつきのメッセージが届いた。
リンクはこれ。
日本の廃盤システムに慣れっこになっていた自分にとってはもの凄い驚き。
数出ているわけでもないだろうに、二十数年も前のカタログを未だに商品として扱ってくれていた英国の音楽文化の懐の深さを垣間見た気がしてとてもありがたい気持ちにさせられた。
海外リリースと言ってもプロモーションやライブでヨーロッパ行ったわけでもないし、送られてきた盤や各国の雑誌の記事の切り抜きを見てのぼんやりした実感しか無かった。
何故当時自ら向こうへ行こうとも思わなかったのか、今想うと不思議だ。
で、さしたる実感も無いまま時は過ぎ、その数年後に三枚目のアルバムのプロモーションで香港へ行った時のこと。
取材の合間にトイレで着替え中の甲田さん(d.i.p.のボーカル)を待っていたマンダリン・オリエンタルのエレベーター・ホールで隆とした身なりの三十代キャリア風英国人女性に「貴方もしかして…」と声を掛けられた。
その前日にTVに出ていたので、てっきりそれを見たのだろう思いながら応じると「TVは見ていないわ。トイレであなたのパートナーを見掛けた時は、まさかと思ったのだけれど...デビュー盤、今も聴いているわ。美しい音楽をありがとう」と言われたのだ。
感動した。
数年を経て欧州でではなくアジアの片隅でそれを初めて実感させられた、あのエレベーター・ホールでの出来事は一生忘れないだろう。
西欧コンプレックスとかじゃないんだな。
香港というアジアの異国へ、日本のメーカーに勤めるアメリカ人のA&R(正確には違うのだが)と一緒に出掛けて行って、マレーシアやら中国出身の現地の若く熱意あるプロモーターと一緒に移動中に、英国より出張中の一見コンサバティブな人から思わぬ嬉しい言葉を頂いた、という複合的なハプニングなのだから。
国や言語や文化は違えど伝わるものは伝わって、受け止めてくれる人は受け止めてくれるという、音楽家としての今の自分を支えている、個人的当たり前のこと、を身を持って知ることが出来た最初の経験。
それに似た、あるいはそれとは全く違う感動は後に幾つか覚えたのだが、それらが無ければ音楽を続けていなかったかもしれん。
ありがとう、ロンドン!
ありがとう、Rough Trade !

